前川 純先生

インタビュー:京都で新たに開業 ― 歯内療法専門医が語る「誠実な医療」とこれからの挑戦、純デンタルクリニック 前川 純先生

2025年8月、京都市中京区に新たな歯内療法専門医院が誕生しました。 今回は開業を迎えた先生に、これまでのキャリア、専門医を目指したきっかけ、そして今後の展望について伺いました。

 — 京都生まれ、徳島大学での学び ――

── 先生は京都ご出身とのことですが。

はい。生まれてから高校までは京都で過ごしました。大学は徳島大学に進学しました。

── 京都と徳島、生活してみてどんな違いを感じましたか?

やはり交通事情は大きな違いですね。京都は電車やバスといった公共交通機関が発達していて便利ですが、徳島では車がないと移動が難しい。その分、自然が豊かで食事もおいしく、のどかで住みやすい環境でした。

—  一般開業医からエンド専門医へ ――

── 卒業後のキャリアを教えてください。

1年間は徳島大学病院で研修しました。その後は京都市内の一般開業医に勤務しました。そこから約10年間勤めた後、今回の開業に至ります。

── エンド専門医を志したきっかけは?

勤務先の医院では、エンド症例を神戸先生に紹介していました。また定期的に院内セミナーで講義していただき、そのときに「エンド専門医」という存在を知ったのです。 日常診療のなかでエンド関連のトラブルは頻度も多く、患者さんも歯科医師も悩むケースが多いと感じていました。そんな中で、エンド専門医の存在に憧れを持ったのが直接的なきっかけです。院長がPESCJレギュラーコースの受講を後押ししてくださったことも大きかったですね。

— レギュラーコースで得た「軸」 ――

── 実際に受講されたときの印象はいかがでしたか?

覚悟はしていましたが、思った以上に厳しかったです。文献抄録、プレゼン制作、症例報告、抜去歯トレーニングを同時進行で進めるので、時間のやりくりが大変でした。特に私は人前で話すのが苦手で、毎回のプレゼンは本当に緊張しましたね。 ただ、その分講師の先生方から忌憚のない評価をいただき、歯内療法に限らず医療従事者としての姿勢そのものを見直すきっかけになりました。受講を通じて、「科学的根拠に基づき、患者さんの価値観を尊重した上で治療方針を決める」という、自分の中の“軸”ができたと思います。

— 開業に向けて大切にしていること ――

── 開業準備のなかで一番大変だと感じることは?

かかりつけ医の先生方に、自分の役割をどう理解していただくか、という点です。矯正や口腔外科への紹介は一般的に浸透していますが、歯内療法も紹介先の一つとして理解していただくことが地域医療に大切だと思っています。

── そのために必要なものは何でしょうか?

やはり「信頼」だと思います。技術や知識はもちろん、人柄も含め、この先生なら患者を任せられると思っていただける信頼を築くこと。そのためには日々の学びや臨床の積み重ね、そして紹介元と患者さん双方の期待に応えていくことが大切です。

── プロモーションとして意識していることはありますか?

自分はまだ十分にできていませんが、セミナー開催や学会発表、SNSでの症例発信などは有効だと思います。また近隣の先生と直接顔を合わせることも重要です。私は人前で話すのが得意ではありませんでしたが、大阪GPコースでインストラクターを務めるようになり、少しずつ楽しめるようになってきました。これから少しずつ活動の幅を広げていきたいですね。

— プライベートと家族の支え ――

── ご家庭についても伺ってよろしいでしょうか?

はい、妻と子供2人がおります。長男は3歳4ヶ月、次男はまだ0歳8ヶ月です。まさに可愛い盛りで、休日はよく公園や琵琶湖の湖岸公園、鉄道博物館などに出かけています。家族の協力があってこそ、レギュラーコース修了や認定医取得ができたと感謝しています。

── 学生時代はスポーツをされていたとか。

大学ではサッカー部に所属していました。釣りも好きで、自然の中で過ごすことが多かったですね。今でも月に1〜2回はフットサルに参加していますが、体力は落ちました(笑)。でも子供と一緒に外遊びするためにも、体力づくりは意識していきたいです。

— 思い出に残る症例 ――

── 印象に残っている症例はありますか?

嘔吐反射が強く、ラバーダム防湿も開口維持も難しい#17再治療の患者さんです。他院2件で抜歯を勧められたそうですが、意図的再植を提案したところ勇気を出して選んでいただきました。結果的に病変も治癒し、補綴も無事に行うことができ、患者さんがとても喜んでくださったのが印象的でした。

エンド専門医としての開業はまだ始まったばかり。しかし先生は「誠実さ」を軸に、地域のかかりつけ医と連携しながら、患者利益を最優先にした医療を提供していきたいと語ります。 京都という地で、エンド専門医としての挑戦が始まりました。